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横浜地方裁判所 昭和56年(ワ)2424号 判決

原告

相古晃次

栗原光之

塩谷一利

大野良男

長塩征生

相川辰榮

磯貝啓吉

右原告七名訴訟代理人弁護士

小池貞夫

清水洋二

鴨田哲郎

筒井信隆

荻原富保

安養寺龍彦

恵崎和則

被告

日産自動車株式会社

右代表者代表取締役

石原俊

右訴訟代理人弁護士

小倉隆志

主文

一  原告相古晃次は被告村山工場第二製造部圧造課において就労すべき義務のないことを確認する。

二  原告栗原光之は被告村山工場第一製造部第一組立課において就労すべき義務のないことを確認する。

三  原告塩谷一利は被告村山工場第一製造部第二組立課において就労すべき義務のないことを確認する。

四  原告大野良男は被告村山工場第二製造部第一車体課において就労すべき義務のないことを確認する。

五  原告長塩征生は被告村山工場第二製造部圧造課において就労すべき義務のないことを確認する。

六  原告相川辰榮は被告村山工場第二製造部第二車体課において就労すべき義務のないことを確認する。

七  原告磯貝啓吉は被告村山工場第二製造部第一車体課において就労すべき義務のないことを確認する。

八  原告らのその余の請求を棄却する。

九  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  原告らが被告村山工場を就労場所とする機械工の地位にあることを確認する。

2  被告は原告ら各自に対し、各金三六〇万円及び右各金員に対する昭和六〇年八月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言

二  被 告

(本案前の答弁)

1 本件訴はいずれもこれを却下する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(本案の答弁)

1 原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張〈省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

一被告の本案前の答弁について

被告は、被告村山工場には原告らが就労することのできる機械工の仕事が存在しないのであるから、本件訴は訴の利益を欠き却下を免れない旨主張する。確かに原告らは、本訴請求の趣旨においては被告村山工場を就労場所とする機械工の地位にあることの確認を求めるとしているのであるが、請求の原因においては雇用契約違反、労働協約違反、不当労働行為ないしは配転命令権の濫用等により本件配転が無効である旨主張しているところからすれば、原告らがそれぞれの配転を命ぜられた先での就労義務の存在しないことの確認を求めている趣旨を含むものと理解できるから、たとえ被告主張どおり被告村山工場において原告らが就労できる機械工の仕事が存在しなくとも、本件訴が訴の利益を欠くということにはならない。したがつて、被告の本案前の答弁は理由がない。

二そこで、地位確認請求の本案について判断する。

1  請求の原因1(一)及び同1(二)ないし(八)のうち原告らが機械工として採用されたことを除くその余の事実並びに同2の事実は当事者間に争いがない。

2  雇用契約違反の主張について

(一)(1)  原告相古が中学卒業の際富士精密による機械工募集の求人申込みに応募して昭和三三年四月一日富士精密に採用されたこと、同原告が同年七月一日から同四二年八月三一日まで荻窪工場工作一課に、同年九月一日から同四三年九月ころまで村山工場機関組立課に、同年一〇月ころから同五〇年八月ころまで同工場機関課に、同年九月から本件配転に至るまで同工場第三製造部第二車軸課にそれぞれ所属し、機械工として就労していたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によると以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告相古は、同三三年中学卒業と同時に父の知合いの町工場に機械工として就職することになつていたが、中学の担任教諭から「どうせ機械工をやるなら大きな会社に入つた方がいいだろう。」と勧められ、富士精密荻窪工場において機械工を募集している旨紹介されてこれに応募したところ、採用されるに至つた。

(ロ) 原告相古は、同年四月一日以降三か月間機械工としての教育を受けた後、同年七月一日本採用となつて荻窪工場工作一課に配属され、歯切盤、ターレット旋盤及び研削盤等を使用して機械加工作業に従事していた。

(ハ) 原告相古は、同四二年当時、自動車の変速機の機械加工の仕事に従事していたが、被告は、右の業務を吉原工場に移管し、原告相古はじめ四名を村山工場機関組立課に配置転換し機械組立工の仕事に従事させることを提案した。そこで原告相古の所属する全金支部は、原告相古らは機械工であるから組立工に職種変更することには同意できないとして会社と折衝した結果、同年八月二九日被告との間で「機関組立課への転勤者については車体課応援終了後機械工職に就かせる。」との覚書を取り交した。そこで原告相古は同年九月一日村山工場機関組立課に配置換えとなりラップ盤の仕事に従事していたが、同四三年一〇月ころ右覚書に基づいて同工場機関課に配置換えとなつて研削盤を使用してクランクシャフトを加工する機械工としての仕事に従事した。

(ニ) その後原告相古は、同五〇年九月、同工場第三製造部第二車軸課に配置換えとなり、本件配転に至るまで、機械工として自動旋盤、研削盤及びトランスファーマシン等を使用して自動車のデフケースを加工する仕事に従事した。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(二)(1)  原告栗原が中学卒業の際富士精密による機械工募集の求人申込みに応募し、同二八年四月一日同社に採用されたこと、同原告が荻窪工場工作一課に配属され、課名は変わつたが一貫して同一職場に所属し、機械工として就労していたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によると以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告栗原は、同二八年三鷹市立三鷹中学を卒業するに当り、将来機械工になりたいとの希望を持つていたところ、富士精密荻窪工場で機械工を募集していることを知つてこれに応募し、同社に採用されるに至つた。

(ロ) 原告栗原は、同年四月一日以降三か月間機械工としての教育を受けた後、同年七月一日本採用となつて荻窪工場工作一課に配属され、旋盤、ボール盤、フライス盤及び研磨盤等を使用してクランクシャフト、トランスミッションあるいは車軸部品等を機械加工する等の機械工たる仕事に従事していた。

(ハ) その後同原告の所属していた職場が職場ごと村山工場に移転することになつたため、原告栗原は、同四二年一月ころ、村山工場第三製造部第一車軸課に配置換えになつたものの、同四五年九月一日から同年一〇月九日までと同四九年二、三月に組立の仕事の応援に出た以外は、機械工として従前同様工作機械を使用して機械加工をする仕事に従事していた。

(ニ) さらに原告栗原は、同五三年三月、同原告が従事していたトラックの車軸部品を加工する仕事が外注に出されることになつたため、同工場第三製造部第二車軸課に配置換えとなり、本件配転に至るまで工作機械を使用してサニーの車軸部品を機械加工する機械工たる仕事に従事していた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(三)(1)  原告塩谷が中学卒業の際富士精密による機械工募集の求人申込みに応募し、同三一年四月一日同社に採用されたこと、同原告が荻窪工場工作一課に配属され、課名は変わつたが一貫して同一職場に所属し、同四三年一〇月ころから村山工場機関課に、同五〇年九月から同工場第三製造部第一車軸課にそれぞれ所属し、機械工として就労してきたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によると、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告塩谷は、同三一年三月杉並区立井草中学を卒業するに際し、中学の担任教諭から富士精密で機械工を募集しているので応募してみないかと勧められ、たまたま同原告の兄匡康が同社に機械工として勤務していたこともあつてこれに応募したところ、採用されるに至つた。

(ロ) 原告塩谷は、同年四月一日以降三か月間機械工として教育を受けた後、同年七月一日本採用となつて荻窪工場工作一課に配属され、機械工として旋盤、ボール盤、フライス盤及び歯切盤等を使用して機械加工作業に従事した。

(ハ) 原告塩谷は、同四二年当時、自動車の変速機の機械加工の仕事に従事していたが、前記(一)(2)(ハ)認定のとおり、原告塩谷の所属する全金支部が同年八月二九日会社との間に覚書を取り交したので、原告塩谷は同年九月一日以降同四三年三月末日までの間車体課に出向いてサブ作業の応援をしたが再び機械工に戻りボール盤の仕事に従事していた。その後原告塩谷は、同年一〇月ころ右の職場がなくなつたため、前記覚書に基づいて同工場機関課に配置換えとなつてボール盤、フライス盤を使用してシリンダーブロックを加工する仕事に従事していた。

(ニ) 原告塩谷は、同五〇年九月右の職場が九州工場に移されたため、村山工場第三製造部第一車軸課に配置換えとなり、本件配転に至るまで機械工として倣い旋盤及びNC旋盤を使用し機械加工に従事していた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(四)(1)  原告大野が中学卒業後しばらくしてプリンス自工による機械工募集の求人申込みに応募し、同三七年三月同社に採用されたこと、同原告が入社後荻窪工場シャシー課に、同三八年八月ころ同工場ミッション課に、同四一年九月ころ再び同工場シャシー課に、その後村山工場第三製造部第一車軸課にそれぞれ配属されて機械工として就労してきたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告大野は、同三六年三月中学を卒業し、同年四月から日野鋳造所に雇われ鋳造に従事していたが、仕事がおもしろくなく、友人から機械工になつたらどうかと勧められていたところ、同年一〇月二日付朝日新聞に掲載されたプリンス自工の従業員募集の広告に「職種 機械工、仕上工、組立工、その他」とあるのを見てこれに応募した。同原告は同三七年二月末ころプリンス自工の採用試験を受けて合格し、同年三月二三日入社したが、面接試験の際試験担当者に対し機械工になりたいと希望を述べた。

(ロ) 原告大野は、プリンス自工入社後機械工として萩窪工場シャシー課に配属され歯切盤等を使用してギアの機械加工を行つていたが、同三八年八月同工場ミッション課に配置換えとなり研削盤等を使用してギアの機械加工をなし、同四一年九月再度同工場シャシー課に配置換えとなつて旋盤、ボール盤、フライス盤及びトランスファーマシン等を使用してトラックのキャリア及びキャップを機械加工する機械工としての仕事に従事していた。

(ハ) 原告大野は、同年一一月ころ右の職場が村山工場に移されることになつたため、村山工場第三製造部第一車軸課に配置換えとなつて、従前同様トラックのキャリア及びキャップの機械加工をするようになり、同五一年一月同課のフロントアクスル組立に短期間応援に出た以外は、本件配転に至るまで前記機械工たる仕事に従事していた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(五)(1)  原告長塩が中学卒業の際富士精密による機械工募集の求人申込みに応募して同二八年四月一日同社に採用されたこと、同原告が入社後荻窪工場工作課に、その後村山工場第三製造部第一車軸課にそれぞれ配属され、機械工として就労してきたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によると、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告長塩は、同二八年三月杉並区立東田中学を卒業するに際し、富士精密で機械工をしている友人から話を聞いて機械工に憧れ同社の機械工募集に応募したところ、採用された。

(ロ) 原告長塩は、同年四月一日以降三か月間機械工としての教育を受けた後、同年七月一日本採用となつて荻窪工場工作課に配属され、爾後ボール盤、フライス盤及び歯切盤を使用して機械加工作業に従事していた。

(ハ) 原告長塩は、同四一年一二月右職場の村山工場への移管とともに村山工場第三製造部第一車軸課に配置換えとなり、同四八年一二月から同四九年一月までと同五二年六月二七日から同年八月末までの間組立の仕事に応援に出た以外は、本件配転に至るまで前述の工作機械を使用してトラックのナックル及びセンター部分の部品を機械加工する機械工としての仕事に従事し、重要保安部品の機械加工に携わることもあつた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(六)(1)  原告相川が東京都中央公共職業補導所修了の際富士精密による機械工募集に応募し、同二八年二月一六日同社に採用されたこと、同原告が同日以降同四二年八月三一日まで荻窪工場工作課に、同年九月一日から本件配転に至るまで村山工場第三製造部第一車軸課にそれぞれ配属され、機械工として就労してきたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によると、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告相川は、同二八年二月ころ東京都中央公共職業補導所仕上げ科(旋盤を除く工作機械の取扱いを習得するコース)を修了するに際し、富士精密の機械工募集に応募したところ、採用された。

(ロ) 原告相川は、同年二月一六日荻窪工場工作課に配属され、ホーニングマシン、ボール盤、ボーリングマシン、ロータリーフライス、旋盤等を使用してシリンダー、ミッションケース等を機械加工する仕事に従事した。

(ハ) 原告相川は、同四二年九月一日、村山工場第三製造部第一車軸課に配置換えとなり、その後本件配転に至るまで機械工としてシリンダーブロック等のロータリーフライス盤、トランスファマシンによる機械加工に従事し、この間重要保安部品であるリアアクスルシャフトをフライス盤、GF倣い旋盤で機械加工することにも携わつた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(七)(1)  原告磯貝がプリンス自工による機械経験工募集に応募し同三九年四月一三日機械経験工として同社に採用されたこと、同原告が同日から同四二年八月三一日まで荻窪工場エンジン課及びミッション課に、同年九月一日から本件配転に至るまで村山工場機関課及び第三製造部第二車軸課にそれぞれ配属され、機械工として就労してきたことは当事者間に争いがない。

(2)  〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告磯貝は、中学卒業後町工場で旋盤等工作機械を取り扱つていたが、同三九年三月一五日付読売新聞に掲載されたプリンス自工の従業員募集の広告に「職種 機械・組立・仕上・熱処理」とあるのを見てこれに応募し、同年四月初めころ面接試験を受けた。なお原告磯貝は、面接試験の際試験担当者に対し機械工の経験があるので機械工になりたい旨希望を述べた。

(ロ) 原告磯貝は、同年四月一三日プリンス自工に採用され、荻窪工場エンジン課に配属されてラジアルボール盤、フライス盤を使用してシリンダーヘッドを機械加工していたが、エンジン課の職場が村山工場に移ることになつたため、同年一〇月荻窪工場ミッション課に配置換えとなり、同課で旋盤によるギアの機械加工をするようになつた。

(ハ) ところが同四二年九月一日ミッション課の職場が吉原工場に移つたため、原告磯貝は、同日村山工場機関課に配置換えとなり、ボール盤等でコネクチングロットを機械加工する仕事に従事した。そしてさらに原告磯貝は同四八年六月ころ同工場第三製造部第二車軸課に配置換えとなり爾後本件配転に至るまで機械工として研削盤、GF倣い旋盤を使用してアクスルシャフトを機械加工する仕事に従事した。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(八)  以上認定の事実によると、原告相古、同栗原、同塩谷及び同長塩は中学校を卒業する際、また、原告相川は職業補導所を修了する際、それぞれ機械工として就職することを希望していたところ、富士精密が機械工を募集していることを知りこれに応募し、試験に合格した後原告相古、同栗原、同塩谷、同長塩は三か月の機械工訓練を経て本採用となり、原告相川は直ちに本採用となつていずれも機械職場に配置され、原告大野は中学校卒業後鋳造所で働き、原告磯貝も中学校卒業後旋盤工として働いていたが機械工を希望していたところ、プリンス自工が機械工を募集していることを知りこれに応募し採用試験合格後直ちに機械職場に配置されたものであること、さらに入社後も本件配転を命ぜられるまでの間原告相古は二三年三月、同栗原は二八年六月、同塩谷は二五年六月、同大野は一九年六月、同長塩は二八年八月、同相川は二八年一〇月、同磯貝は一七年一〇月いずれも機械工として継続して就労してきた(但し、右の間社命により機械職場以外の職場に応援に出向いた期間は原告相古が一年、同栗原が数か月、同塩谷が七か月、同大野がごく短期間である。)ことが明らかであり、〈証拠〉によると、被告村山工場では職種として機械加工、車軸組立、車輛組立、メッキ、プレス、溶接、フォークリフト組立、塗装、車体溶接、中間熱処理、車軸実験、フォークリフト実験等が存すること、〈証拠〉によると被告では職種の名称として「機械工」を使用していることが認められるから、以上の事実を綜合すると、原告らが被告に吸収合併される以前の富士精密又はプリンス自工と締結し被告に承継された雇用契約においては、機械工をその職種として特定したものであつたと認めることができる。

もつとも被告は、原告らを機械工としてではなく「技能員」として採用したものと主張し、〈証拠〉中には右主張に副う部分が存するけれども、〈証拠〉によれば、被告において「技能員」なる用語を使用し始めたのは昭和四一年ころからであつて、原告らが雇用契約を締結した富士精密、プリンス自工においては職種としてかかる用語は使用されていなかつたことが認められるのであり、仮に、原告らの採用時に現に被告村山工場にある前記十数種の職種が存在したとした場合、同じ「技能」といつてもその内容に大きな差があるから、原告らとしては、機械工として応募したにも拘らず採用にあたつて如何なる職種に就くかが決められず採用後に会社の一方的裁量によつて組立工、溶接工、塗装工或は熱処理工等として就労せしめられるとするならば入社しなかつたであろうことは前記入社に至る経緯に照らし容易に推測し得るところであつて、原告らが十数種の職種を包括した「技能員」なる職種として採用されたとする〈証拠〉は到底措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(九)  以上説示のとおり原告らと被告との間の雇用契約においては機械工をその職種に特定されているものであるから、被告が原告らを他の職種に就労せしめることは雇用契約内容の変更にあたり原告らの同意を得る必要があるところ、被告の就業規則四八条二項に、「会社は業務上の必要があるときは従業員に対し職種変更又は勤務地変更を命じることができる」、同三項に、「従業員は正当な事由がなければ右命令を拒むことはできない」趣旨の規定の存することは当事者間に争いがないから、原告らは職種変更につき事前に包括的同意を与えているものと解せざるを得ない。

もつとも原告らは、右就業規則の存在を認めながらなおかつ原告らの同意を要する旨主張しているところからすると、使用者の雇用人に対する配転命令権を否定する考え(いわゆる配転命令否認説)に立脚しているように受け取れるのであるが、配転命令権は、使用者と雇用人との間の雇用契約に依拠し使用者が取得する権利として肯定さるべきものであり、就業規則は、その法的性質論は措くとして法的効力をもつことは労基法九三条の規定するところであるから、被告において前示の就業規則を定めていることは取りも直さず原告ら従業員において被告の業務上の必要性の存在及び従業員の正当事由の不存在を合理的制約として職種の変更に包括的同意を与えているものと解されるのである。

(一〇)  したがつて、本件配転が雇用契約に違反して無効であるとの原告らの主張は採用することができない。

3  労働協約ないし労使慣行違反の主張について

原告らは、被告と全金支部との間には、職種変更を伴う配置転換のように労働者に重大な労働条件の変更を生ぜしめる人事権を行使する際には、被告は全金支部と協議しかつ当該組合員個人の同意を得てこれを実施する旨の労働協約ないし労使慣行が存在するところ、本件配転に当つては右のような手続を経ていないから、本件配転は右の労働協約ないし労使慣行に違反し無効である旨主張し、〈証拠〉には右主張に副う部分があるけれども、右供述部分は後記証拠と対比してたやすく措信できず他に右主張事実を認めるに足る的確な証拠はない。かえつて、〈証拠〉によれば、全金支部は同五六年六月一一日付で被告に対し、やむを得ず職種転換をする場合には、事前に当支部に提案し、支部及び本人の同意を得ることを要求しているが、右の点につき労働協約ないしは労使慣行の存在を主張していないことから推せば、被告と全金支部との間には本件配転当時原告ら主張のような労働協約ないし労使慣行が存在しなかつたことが窺えるのである。

したがつて、本件配転が労働協約ないし労使慣行に違反し無効であるとの原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく失当たるを免れない。

4  不当労働行為の主張について

原告らがいずれも全金支部の組合員であることは前述のとおりであるところ、原告らは、本件配転が全金支部の組織を弱体化させ、かつ全金支部所属の原告らに対し日産労組に所属する組合員と差別処遇する意思の下になされた不当労働行為であつて無効である旨主張する。

確かに〈証拠〉によると、被告が昭和四一年八月一九日に全金組合員六名に対してした配転命令が東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)によつて不当労働行為であると認定されたこと、〈証拠〉によると、都労委は同四一年七月一六日、被告に対し管理職が、全金支部組合員に対し同組合の支持を弱めるような言動をなすことを放置してはならないとの救済命令を発したこと、〈証拠〉によると、都労委は、昭和五一年ころ被告が全金支部に対し組合事務所及び掲示板の貸与を拒否したことを不当労働行為にあたると認定し、裁判所も右認定を支持したこと、〈証拠〉によると、都労委は、同五八年六月二一日、被告に対し全金支部組合員を職務上孤立的取扱いをすることにより支配介入してはならない旨の救済命令を発したことがそれぞれ認められるので、これらの事実を綜合すると、被告は原告らの所属する全金支部ないしはその組合員を快く思つていないことはこれを窺知することができる。

しかしながら本件配転は、後述するように、被告が、乗用車のFF化実施に則し従来村山工場にあつた車軸製造部門を栃木工場等に移管し、村山工場において小型乗用車マーチを製造するようになつたため、被告が同五六年六月一日以降同五七年三月一六日までの間、全金支部の組合員はもとより従業員の大多数が加盟する日産労組員をも含めて、別表記載のとおり、配置転換を行つた中の一部分であつて、同表によつて明らかなように、原告らと同じ機械職場よりコンベアライン作業への配転者は全金支部組合員以外の者が圧倒的多数を占めている事実に鑑みると、特に原告らの配転のみを被告の不当差別意思に基づく行為と断ずることはできない。

よつて本件配転が不当労働行為にあたるとする原告らの主張は採用することができない。

5  配転命令権濫用の主張について

原告らと被告との間の雇用契約は、職種を機械工と特定してなされたものであるが、「被告は業務上必要がある場合は職種の変更を命ずることができる。従業員は正当な事由がなければこれを拒否することができない」との就業規則により原告らにおいて被告の配転命令権に合理的範囲の制約を課しながらも事前の包括的同意を与えたことは前叙のとおりである。

而して一般的には、労働者にとつては就労すべき業務すなわち職種は就労の場所とともに重要な労働条件であり、これを変更するときは労働者の生活上の権利に重大な影響を与えることになるから、配転命令の要件たる業務上の必要性は配転によつて被ることのあるべき労働者の生活上の不利益との比較衡量において判断さるべきであり、労働者の拒否事由としての正当事由もまた右と相表裏するものとして同一観点に立つて考慮すべきものであつて、被告の利益に比し従業員の被る不利益が著しいというような利益衡量が権衡を失する場合においては権利の濫用として配転は無効となるものといわなければならない。

そこで本件配転を被告の経営上の必要性及び人選の合理性の両面から検討を加えることにする。

(一)  被告の経営上の必要性について

(1) 被告の主張1の事実は当事者間に争いがない。

(2) 〈証拠〉によると、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 被告は、世界の自動車業界の趨勢が車両の小型化と駆動方式のFF化にあつたため、その動向に対応して自社で生産する自動車の大部分をFF化する計画を立て、昭和五五年四月、当時村山工場において車軸部分を製造していたサニー、バイオレット及びオースターをFF化することにした。そしてFF化の時期については国内向バイオレット、オースターは同五六年五月、輸出向バイオレット、オースターは同年七月、国内向サニーは同年一〇月、輸出向サニーは同年一二月から同五七年三月までとした。

(ロ) ところで、自動車の駆動方式をFRからFFに転換するにはとくに車軸製造部門において大幅な設備の変更を必要とし、しかも一定の時期にFF化を行うには七か月間はFR用車軸部品とFF用車軸部品を併行して製造する必要があり、そのためには村山工場のスペースでは不足することが判明した。そこで被告は、スカイライン、ローレル用の車軸部品の製造を除いた車軸部品(小型トラックの車軸部品を含む。)の製造を栃木工場及び横浜工場に移すことにした。

(ハ) しかして被告は、右車軸部品の製造を栃木工場等へ移管した後の対策として村山工場においてローレル、スカイラインとは車格が異なりかつ輸出にも振り向けることのできる新規小型車マーチを生産し、これによつてローレル、スカイラインとマーチという車格及びモデルチェンジの時期の異なる車両の生産を組み合わせ、もつて村山工場の生産体制を平均化し、従業員の雇用及び勤務体制の安定化をはかるべく計画した。

(ニ) 而して被告は、村山工場においてマーチの生産を開始するに当つて、新たに必要とする人員約八〇〇名を、サニー、バイオレット、オースターの車軸部品の製造を他工場に移管することによつて余剰となつた三五五名(機械工一四二名、溶接工一〇〇名、機械組立工一一三名)と小型トラックの車軸製造を他工場に移管することによつて余剰となつた一四〇名(機械工八二名、機械組立工五八名)、合計四九五名をもつて充当し、なお不足する約三〇〇名については、当時ローレル、スカイラインの販売実績が不振であつたところから、右ローレル、スカイラインの生産要員をもつて充当することとした。

(ホ) 被告は、右のような計画に基づいて、同五六年六月一日以降同五七年三月一六日までの間に、村山工場第三製造部所属の車軸製造に従事していた従業員の大部分を同工場第一、第二製造部に配転し、原告らに対する本件配転も右の計画の一部として行われた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(二)  人選の合理性について

(1) 原告相古は、前記二の2の(一)において認定したとおり、同三三年四月一日に富士精密に入社以来本件配転に至るまで二三年三か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので、機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉を綜合すると、原告相古が本件配転によつて就労すべく命ぜられたローレル関係のプレス工の仕事は、ベルトコンベアによつて運ばれてくる鉄板をプレス機械の型の中に入れたうえ両手押ボタンでプレス機械を作動させるという作業を一時間に三五〇ないし六〇〇回の割合で繰り返す単純反覆作業であること、したがつて右の作業は同原告が従前従事していた機械工の仕事と全く異質の仕事であつて同原告が有していた機械工としての技能、経験を生かす余地がほとんどないことを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(2) 原告栗原は、前記二の2の(二)において認定したとおり、同二八年四月一日富士精密に入社以来本件配転に至るまで二八年六か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので、機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉を綜合すると、原告栗原が本件配転によつて就労すべく命ぜられたスカイライン、ローレル関係のタイヤ及びステアリングケージ取付けの仕事は、ベルトコンベアによつて二分間に一台の割合で運ばれてくる乗用車についてその片側の前後輪に重量が一二ないし一九・五キログラムあるタイヤを取り付けたうえインパクトレンチ、トルクレンチを用いてボルト、ナット等を締めつける作業であること、したがつて右の仕事は熟練を要せず体力のみを要求される作業であることを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(3) 原告塩谷は、前記二の2の(三)において認定したとおり、同三一年四月一日富士精密に入社以来本件配転に至るまで二五年六か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉を綜合すると、原告塩谷が本件配転によつて就労すべく命ぜられたスカイライン関係のガソリン給油の仕事は、ベルトコンベアによつて二分間に一台の割合で運ばれてくる乗用車について静電防止用の作業靴を履いてパワステオイル、トルコンオイル、ガソリン及び不凍液を注入したうえバルブ及びプレートを取り付ける熟練を要しない単純な作業であることを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(4) 原告大野は、前記二の2の(四)において認定したとおり、同三七年四月一日プリンス自工に入社以来本件配転に至るまで一九年六か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので、機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉を綜合すると、原告大野が本件配転によつて就労すべく命ぜられたローレル関係のサンダー掛けの仕事は、防塵面、前掛け、安全靴等を着用して、ベルトコンベアによつて三分三〇秒に一台の割合で運ばれてくる乗用車について車体のブレージング溶接部をグラインダー及びサンダーを用いて削る熟練を要しない単純作業であるうえ、粉塵等が発生して作業環境が悪いため月額四八〇〇円の特殊作業手当が支給されることを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(5) 原告長塩は、前記二の2の(五)において認定したとおり、同二八年四月一日富士精密に入社以来本件配転に至るまで二八年八か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので、機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉を綜合すると、原告長塩が本件配転によつて就労すべく命ぜられたプレスのコンベアラインの仕事は、コンベアによつて運ばれてくる鉄板をプレス機械の型に入れたうえ両手押ボタンでプレス機械を作動させるという作業を繰り返す単純反覆作業であること、したがつて右の作業は同原告が従前従事していた機械工の仕事と全く異質の仕事であつて同原告が有していた機械工としての技能、経験を生かす余地がほとんどないことを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(6) 原告相川は、前記二の2の(六)において認定したとおり、同二八年二月一六日富士精密に入社以来本件配転に至るまで二八年一〇か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉を綜合すると、原告相川が本件配転により就労すべく命ぜられた鉄板投入作業は、ローレル、スカイラインの床部分になる重さ一八キログラムの鉄板パネルを三人一組になつて組み合わせる作業であり、同原告が同五七年九月一三日以降従事すべく命ぜられたマーチのリヤフロアに鉄板をスポット溶接する仕事は、重さ約八キログラムの鉄板を所定の位置まで運搬したうえポータブルスポット、エックスガンを使用して右鉄板をスポット溶接する作業を繰り返すものであること、したがつて右の仕事はいずれも熟練を要しない単純重作業であることを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(7) 原告磯貝は、前記二の2の(七)において認定したとおり、同三九年四月一三日機械経験工としてプリンス自工に入社以来本件配転に至るまで一七年一〇か月の間機械工として機械加工作業に従事してきたもので、機械加工の熟練工ということができる。しかるところ、〈証拠〉によれば、原告磯貝が本件配転によつて就労すべく命ぜられた車体ビラー溶接後の作業は、ベルトコンベアによつて一分三〇秒ないし一分五〇秒に一台の割合で運ばれてくるスカイラインの車体の溶接部分をグラインダー及びサンダーを用いて平らにする作業を繰り返す熟練を要しない単純作業であることを認めることができ、これを覆えすに足る証拠はない。

(三) 以上認定の事実によると、本件配転は、従来村山工場でしていた自動車の車軸部品の製造部門を栃木工場等へ移転し、新たに村山工場で新車種マーチを生産することにしたことに基づく村山工場内の人員再配置計画によるものであるところ、被告がかかる工場整備計画を立てた理由は、世界自動車業界の車軸小型化、駆動装置のFF化に対応するためのものであつたことは窺知するに十分であり、国の内外において競争の激しい自動車産業界にその地位を占める被告としては経営上必要な処置であつたと認めることができる。

しかしながら、原告らの配転については、原告らが従事していた車軸部品製造部門の栃木工場等への移転に伴う職場の消滅により配転自体はやむを得ないものとしても、〈証拠〉によれば、村山工場においては昭和五七年四月一日現在、工務部工務課に一五名、同部工具管理課に一三名、第三製造部機械課に一〇四名及び第三工機部第五工機製作課に六八名、計二〇〇名の機械工が在籍し、さらに同日現在原告らの通勤可能圏内である荻窪工場の総務部施設課に一一名、宇宙航空事業部製作課に七〇名、計八一名、同三鷹工場の繊維機械事業部製作課に二四名の機械工が在籍していることが認められるところからすると、原告らに対し配転命令の出された昭和五六年六月以降同五七年二月までの間においても右とほぼ同様の機械工配置状況であつたと推認できるから、被告としては原告らを配転する場合においては、原告らの機械工としての経歴、技能を十分に斟酌し、前示村山、荻窪及び三鷹の各工場内の他の機械職場に従事する機械工の経歴、技能をも考慮してこれらの者との関連において他の機械職場に配置することが可能か否かを検討し、例え他の機械職場への配置が不可能とされる場合でも本人の意向を聴きでき得る限りその技能を生かせる職場に配置するなど原告らの利益についても十分配慮するのが、配転命令権を行使する被告のとるべき必要な措置といわなければならない。しかるに被告は、原告らの配転にあたりその経歴、技能等の個人の特性や配転先への適応性等前叙の如き事情を一切考慮することなく適当に他の職種に配転したと自認するのであり、しかも原告らの配転先は前記認定事実によつて明らかなように原告らの永年に亘る経験、蓄積した技能を生かし得ず、単純で身体に厳しく、機械職場に比し労働条件の劣悪な職場であるから、被告のした本件配転は、人選の合理性を欠くものとして配転命令権の濫用にあたり無効といわざるを得ない。

三次に不法行為を理由とする損害賠償請求について判断する。

原告らは、被告の原告らに対する本件配転は、原告らに苦痛を与えることを目的としてなした不当労働行為であり、原告らの機械工職の剥奪の結果を生じさせる不法行為である旨主張する。

しかしながら、以上に説示したとおり、本件配転は権利の濫用として無効といわざるを得ないものの、これを不当労働行為とすることはできないところであり、また本件配転が被告において原告らに苦痛を与える目的を以つてなされたものと認め得べき証拠は存しない。

したがつて、原告らの被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四結  論

以上のとおり、原告らの請求原因は、本件配転が権利の濫用として無効であるという限度で理由があり、その余は理由がないというべきである。而して、原告らの請求の趣旨第1項は、「原告らが被告村山工場を就労場所とする機械工の地位にあることを確認する。」というものであるが、配転命令の効力を争う訴訟において、勤務場所を配転命令前の旧職場とする雇用契約上の地位確認を求める請求はいわば旧職場で就労すべき権利を有することの確認を求める請求と同一であるというべきところ、労働者から使用者に対する就労請求権を認めることができない以上右のような請求権の存在確認請求は許されないから、このような場合、右請求を配転命令後の新職場における就労義務の存在しないことの確認を求める請求を包含しているものと解されるときはその趣旨を含むものとして取扱うのが相当である。しかして、原告らの右請求の趣旨は請求原因事実からみて右のような趣旨をも包含していると解されるから、原告らの地位確認請求に関しては主文第一ないし第七項掲記の限度でこれを認容し、右限度を超える請求及び損害賠償請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官安國種彦 裁判官山野井勇作 裁判官小池喜彦)

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